4人の視線が一斉にゾフィーに向けられる。ついに家族全員が揃ったのだ。(まぁ、今度はお義母様まで出てくるなんて……これはますます騒ぎになりそうね)オリビアは一歩下がると、騒ぎの行方を見守ることにした。「あなた! 今ミハエルが言っていたことは本当なの!?」ゾフィーは険しい顔で、ヒールをならしながら近づくとランドルフの前で足を止めた。「ち、違う! 彼女はただのウェイトレスで、私は単なる客だ! それだけの関係だ! 断じてお前が考えるようないかがわしい関係では無いからな!」ランドルフは早口でまくし立てる。「何ですって!? いかがわしい関係ですって!!」ゾフィーの顔が増々険しくなる。「そんな! 汚らわしいわ! お父様!」自分のことを差し置いて、父親に文句を言うシャロン。傍観者を決め込んでいたオリビアであったが、さすがに今の台詞には一言物申したくなった。「あら、シャロン。人の婚約者に手を出しておいて、どの口が言うのかしら?」「うるさいわね! オリビアのくせに口を出すんじゃないわよ! 大体あんたに魅力が無いから、ギスランに捨てられたんでしょう! あの男も単純よ。ちょっと笑顔と甘い声ですり寄っただけで、簡単に落ちるんだから!」「シャロン! オリビアに何て口を利くんだ! 大体、ギスランはオリビアの婚約者だ。それなのに手を出すとは……このあばずれめ!」ミハエルは先程オリビアから『賢明なお兄様』と言われたことで、オリビアの肩を持つ。「誰がアバズレよ! こっちだってねぇ、好き好んでギスランに声をかけたわけじゃないのよ! お母様に陰気なオリビアから奪ってやりなさいって言われたからよ! そうでなければあんな男、私が相手にするはずないでしょう!!」噛みつくように叫ぶシャロンに、ギョッとするランドルフ。「シャロン……今の態度は一体何だ? いつもの可愛らしいお前はどこにいったのだ? 仮にもギスランはオリビアの婚約者なのだぞ! まだ15歳の子供が男を略奪など、もってのほかだ!」そして、ついでにゾフィーにも怒鳴りつけた。「大体ゾフィー、そもそもお前が悪い! 自分の娘になんて真似をさせるのだ!」「何ですって!? 自分のことを棚に上げて、どの口で言っているのよ! あなたこそ、年若いウェイトレスの愛人を囲っているくせに! 非の打ちどころの無い妻であるこの私がいながら!
廊下に2人きりになると、ランドルフがオリビアに笑顔を向けてきた。当然、オリビアの身体に鳥肌が立つ。「オリビア……」「はい、何でしょうか。お父様」背中に悪寒を感じながら返事をする。「他の家族は皆、行ってしまったが2人だけで朝食に行こうか。丁度お前に話したいことがあるしな」「いいえ、結構です」「そうか、結構か……何っ!? け、結構だと!? 今、結構だと言ったのか!? 何故だ!?」「そんなに身体をよろめかせて大袈裟に驚かないで下さい。今の騒ぎで朝食を取る時間が無くなってしまったのです。大学に遅刻する訳にはいきませんし、それに今日は馬車をお願いしないとなりませんので」「そうか……確かに大学に遅刻するわけにはいかんな。何しろ、お前は子供たちの仲で一番優秀な存在だからな」どの口が言うのか、ランドルフは頷きながら納得した素振りを見せる。(全く、どの口が言うのかしら。いきなり豹変して呆れて物も言えないわ)「よし、では大学へ行ってしっかり学んでおいで。お前には期待しているからな」「はい。では馬車を出す許可証を下さい」オリビアは右手を差し出した。「許可証? そんなもの、別に必要無いだろう?」首を傾げるランドルフに、オリビアは大げさにため息をついた。「お父様は、本当に私に無関心なのですね。この屋敷の人達が今まで私にどんな仕打ちをしてきたか御存知無いのですか?」「そ、それは……」心当たりがあるランドルフは俯く。「皆私を馬鹿にしてきたし、御者も馬車を出してはくれないのですよ?」「何と! 馬車すら出してはもらえなかったのか!?」余程驚いたのか、ランドルフは身体をのけぞらせる。「はい、そうです。だから私は自転車通学をしていました。ですが、本日は御覧の通り、雨です。自転車では行けません。という訳で許可証を下さい」「よし分かった、許可証と言わず、オリビアには私の名刺を授ける。さらにサインをしておこう。お前を必ず馬車に乗せるようにとな!」ランドルフはポケットから名詞と万年筆を取り出すと、サラサラとサインをしてメモ書きした。「さぁオリビア! ありがたく受け取るが良い! これで今日からお前は自由自在に馬車に乗れるぞ!」妙に恩着せがましい態度で名刺を差し出してくる父、ランドルフ。「はい、ありがとうございます」オリビアは無表情で名刺を受け取る。以
オリビアはエントランスに向かって廊下を歩いていた。ふと窓を見れば、外は先ほどよりも雨足が強くなっている。(これは酷い降り方ね。服が濡れてしまわないように正面口まで馬車で迎えに来て貰いましょう)そんなことを考えながら廊下を進んでいると、使用人達が大勢集まって騒いでいる姿が目に入った。誰もが話に夢中になっている為、オリビアこもってしまったそうよ」「ミハエル様と口論されたらしいな。珍しいこともあるものだ」「原因はオリビア様らしいわ」「奥様と旦那様も激しい言い争いをしていたみたいだが、結局はオリビア様のせいだって話だ」「え!? あの厄介者のオリビア様が原因なのか?」その言葉に、オリビアは足を止めた。確かにシャロンとのトラブルは自分が発端になったものだが、もとはと言えば彼女の専属メイド2人が吹っ掛けてきたものだ。飛んできた火の粉を振り払っただけで、オリビアは何もしていない。彼らが勝手に自滅していっただけの話だ。オリビアは両手をグッと握りしめ……真っすぐ使用人達を見つめた。周囲に嫌われたくない為に自分を押し殺し、言われっぱなしだった弱いオリビアはもう、何処にもいない。『何故、我慢しなければならないのかしら?』尊敬するアデリーナの声が再び頭の中に蘇る。(そう……私はフォード家の家人。使用人達に言われっぱなしで我慢する私は、もう終わりよ)決意を固めたその時。「お、おい。あそこにいるのはオリビア様じゃないか」フットマンがオリビアの姿に気付き、周囲の使用人達に伝えた。すると1人のフットマンがニヤニヤしながら進み出て来た。「おやぁ? 本当だ。影が薄いんで、全く気づかなかった」そのフットマンはミハエル専属のフットマンで、やはり先ほどのメイド達のようにオリビアに散々嫌がらせをしてきた人物である。「あなたも相変わらず影が薄いわね。話しかけられるまで私も全く存在に気付かなかったわ」オリビアの発した言葉に、その場にいた使用人達が騒めいたのは言うまでもない。「え……? 今、反論した?」 「まさか言い返してきたのか?」 「あのオリビア様が?」 「使用人の顔すら伺っていたくせに……」「な、な、なんだと……!」一方、怒りで肩を震わせているのは影が薄いと言われたミハエルのフットマンだ。「オリビア様、今……俺のこと、影が薄いって言いましたね?
オリビアがニールに馬車をまわしてくるように命令したことで、使用人達は一斉に騒めいた。「う、嘘でしょう……?」「あのオリビア様が……」「俺たちの顔色ばかり伺っていたのに……」「命令した……?」一方、命令されたニールは信じられないとばかりに目を見開いていた。だが、徐々に怒りが込み上げてきたのだろう。顔を真っ赤にさせて身体を震わせ……。「はぁあああっ!? ふざけないで下さいよ!! 何っで、この俺がオリビア様の為に土砂降りの雨の中、御者に連絡しに行かなくちゃならないんですか!!」「土砂降りだから、行くように命じているのでしょう? だってこの中で一番あなたが適任者だから」「何で俺が適任者なのですか! 冗談じゃない、馬車に乗りたいなら御自分で馬繋場へ行って来れば良いでしょう!? 俺はオリビア様のフットマンじゃない。ミハエル様に忠誠を誓ったフットマンなのですからね! ミハエル様だって俺に絶大な信頼を寄せて下さっているのですから!」日頃から、自分は次期後継者になる人物の専属フットマンなのだと偉ぶっていたニール。家族に無視されているオリビアなど、彼には鼻にもかけない相手だったのだ。「あら、そうなの……」オリビアは何がおかしいのか、クスクスと笑う。その様子に周囲で見ていた使用人達の間に困惑が広がる。「おい、一体オリビア様はどうしてしまったんだ?」「さ、さぁ……?」「あまりに蔑ろにされ過ぎて、どうにかなってしまったのだろうか?」けれど当事者であるニールは不愉快でならなかった。オリビアの態度は自分を馬鹿にしているとしか思えない。「何がおかしいのですか!」もはや、相手が子爵家令嬢だと言う事もお構いなしに怒声を浴びせるニール。「だって、お兄様に忠誠を誓っているって言い切ることがおかしすぎるのだもの。一体どの口が言うのかしらって思えるわ」「はぁ!?」「よくも平気で嘘を言えるわね。兄の信頼を裏切って、部屋から金目になりそうなものを物色して盗んでいるくせに」「……え?」その言葉にニールの顔が青ざめ、周囲にいた使用人達は驚いた様子でニールを見つめる。「何を言ってるのですか! いいかげんなことを言わないで下さい!」「そう。認めないのね。だったら別に構わないわ。兄に報告するだけだから」「ほ、報告ですって!?」「ええ、そうよ。あなたの部屋をくまなく探
オリビアは使用人達と共に、エントランス前でニールが戻って来るのを談笑しながら待っていた。「いや~それにしてもオリビア様、お見事でした。あいつは前から態度がでかくて、気に入らなかったんです」「そう言って貰えると嬉しいわ」フットマンの言葉に、オリビアはまんざらでもない笑みを浮かべる。「あいつ、いつも偉ぶっていたんですよ。オリビア様にやりこめられたときのニールの顔ったらないですよ」「本当に爽快でした!」「私もすっきりしました。ニールは本当に嫌な男でしたから」今や、すっかりオリビエに対する使用人達の態度は変わっていた。「オリビア様、ミハエル様への報告は俺たちに任せて下さい!」万年筆を奪った大柄な男が自分の胸をドンと叩く。「確か、あなたはトビーだったわよね?」「え? 俺の名前も御存知だったのですか?」トビーは首を傾げる。「ええ、この屋敷で働く使用人の名前を家人が覚えるのは当然のことでしょう?」何しろオリビアは抜群の記憶力を持っており、人の顔と名前を覚えるのは得意だったのだ。「すごいです! オリビア様!」「こんなに優秀な方だったなんて……!」使用人達は感動の目をオリビアに向けてくる。「トビー。私は兄の次の専属フットマンとして、あなたが適任だと思うわ」「ええ!? お、俺がですか!?」「ええ。だって真っ先に動いてニールから万年筆を奪ったでしょう? だからよ」「オリビア様……」トビーがオリビアに感動の目を向けた時。――バンッ!目の前の扉が突然開かれ、雨具を身に着けたニールがエントランスの中に飛び込んできた。彼の背後には不満げな顔つきの御者もいる。「オリビア様! どうですか!? ちゃんと御者を連れてきましたよ! これでミハエル様へ告げ口はしないでもらえますよね!?」ポタポタ雫を垂らしながら、訴えるニール。「ええ、そうね。私からは告げ口しないから安心してちょうだい?」そしてニコリと笑みを浮かべる。「あ、ありがとうございます……! オリビア様には感謝いたします! 今後は心を入れ替えると誓います!!」すると、背後にいた男性御者が不満そうに口を開いた。「全く……勘弁してくださいよ。こんな土砂降りの日に馬車を出せなんて。少しは遠慮ってものを知らないんですかね」するとその場に居合わせた使用人達が一斉に御者を責め始めた。「何だとぉ
土砂降りの雨の中にも関わらず、使用人達は大学に行くオリビアを見送る為に集まっていた。「それじゃ、みんな行ってくるわね」オリビアは使用人達の顔を見渡す。「はい、行ってらっしゃいませ。ニールのことは、我々にお任せ下さい」トビーが自信たっぷりに頷く。勿論ニールも少し離れた場所に立っているが、あいにくの雨音で彼の耳には届いていない。「私が屋敷に帰って来る頃には、願わくばニールの姿がこの屋敷から消えていることを願っているわ」何しろ、オリビアは散々ニールに馬鹿にされてきたのだ。挙句に彼は盗みも働き、オリビアがミハエルにプレゼントした万年筆迄自分の物にしていたのだから。「ええ、どうぞ我々にお任せください。必ず奴の息の根を止めてさしあげますよ」何とも物騒な台詞を吐くトビーに、周りにいた使用人達は笑顔で頷く。「頼もしい台詞ね。期待しているわ」オリビアは満足げに笑顔を見せると、馬車に乗り込んだ――ガラガラと音を立てて走る馬車の中で、オリビアは外を眺めていた。窓の外は土砂降りの雨で、時折ゴロゴロと雷の音が鳴り響いている。「くそーっ!! 何で、こんな土砂降りの日に馬車を出させるんだよーっ!!」手綱を握りしめて馬車を走らせている御者の叫び声も雷の音にかき消され、当然オリビアの耳には届いていない。「フフフ……今日は荒れた1日になりそうね」オリビアは愉快でたまらなかった。あれ程家族に蔑ろにされ、使用人達から馬鹿にされていた日々が、たったの1日……しかもほんの僅かな時間で全てがひっくり返ったのだから。オリビアを除け者にして、仲良さげな家族はうわべだけの関係だった。家庭内は崩壊し、誰もが抱えていた秘密の暴露。オリビアを無視し、馬鹿にしてきた使用人達からは一目置かれるようになった。「自分の置かれた環境を覆すことが、こんなに簡単なことだったなんて思わなかったわ。これも全てアデリーナ様の助言のお陰ね」早く会って、今朝の出来事を報告したい……。オリビアはアデリーナの顔を思い浮かべるのだった――**** 馬車が大学内の馬繋場に到着し、オリビアは馬車から降りた。この場所は屋根があるので、濡れずに乗り降りできるのだ。「御苦労様。授業が終わる頃、またここに迎えに来てね。16時頃を目安に来てもらえればいいから」「はぁ!? 帰りもこの土砂降りの中、迎えに来いっておっ
「はぁ~それにしてもお腹が空いたわ……朝の騒ぎのせいで食事を取ることが出来なかったから」廊下を歩きながら、オリビアはため息をついた。何げなく通路にかけてある時計を見れば、時刻は8時20分だった。1時限目が始まるまでにはまだ40分の余裕がある。「あら、まだこんな時間だわ。雨が酷かったから早目に馬車を出して貰ったけど、こんなに早く着いたのね。そういえば、随分早く走っているようにも感じたけど……でも、これなら何処かで飲み物くらいなら飲める時間があるかも」オリビアは知らない。土砂降りの中、一刻も早く到着しなければと必死に馬を走らせていたことを。……事故の危険も顧みず。時間にまだ余裕があることを知ったオリビアアは、早速購買部へ行ってみることにした。「え!? 閉まってるわ!」購買部へ行ってみると扉は閉ざされ、営業時間が記された札が吊り下げられていた。「営業時間は……9時から18時? そ、そんな……」大学に入学してから、ただの一度も購買部を利用したことが無かったオリビアは営業時間を知らなかったのだ。「どうしよう……学生食堂やカフェテリアは、ここから遠いし、今から行けば授業が始まってしまうわ……もうお昼まで諦めるしかないわね。せめてミルクだけでも飲みたかったのに」ため息をついて、踵を変えようとしたとき。「あれ? もしかして……オリビアじゃないか?」聞き覚えのある声に、振り返ってみると驚いたことにマックスの姿があった。彼は肩から大きな布袋をさげている。「え? マックス? どうしてこんなところにいるの?」まさかマックスに出会うとは思わず、オリビアは目を見開いた。「それはこっちの台詞だよ。購買部はまだ開いていないんだぞ?」「そうみたいね……私、購買部を一度も利用したことが無かったから営業時間を知らなかったのよ」「そうだったのか。でも、何しに購買部へ来たんだ?」「え、ええ。実は……今朝、ちょっとしたことがあって食事をする時間が無かったの。それで、何か買おうと思って購買部へ来たのだけど……あら、そういえばマックスは営業時間を知っているのに何故ここへ来たの?」するとマックスは笑顔を見せた。「俺は、品物を置きに来たのさ」「え? 品物?」「まぁいいや。まだ時間もあることだし、一緒に中へ入らないか? 実は鍵も持っているんだ」マックスはポケットから鍵を取
「ふ~ん……成程、今朝そんなことがあったのか」陳列棚に手作りスコーンを並べ終えたマックスが腕組みした。「ええ。たった1時間程の出来事だったけど、全てがひっくり返ったようだったわ」「確かに他人の俺から聞いても驚くよ。だけど、良かったのか? 家のそんな大事な話をこの俺にしても」マックスは自分を指さす。「そうねぇ……言われてみれば何故かしら? あなたとは昨日知り合ったばかりで、互いのことなんか、まだ殆ど知らない仲なのに……あ、だからこそ話せたのかもしれないわ」「プ、何だよそれ」オリビアの話が面白かったのか、マックスが笑う。「本当の話よ。今の話、ギスランには流石に話す気になれないもの」「あぁ、オリビアの婚約者のか。まぁ、確かに話せないよな。実は妹がギスランにすり寄っていたのは母親の命令で、イヤイヤだったなんて話はな」「そうよ。……話は変わるけど、マックス。さっき頂いたスコーン、本当に美味しかったわ。これならすぐに人気が出るはずよ」「そうか? フォード家の令嬢のお墨付きなら間違いないな」その言葉に、オリビアの顔が曇る。「あ……」「どうかしたのか?」「あの、父が食に関するコラムを書いているって話だけど……あまり信用しては、もういけないと思って」「金を貰って、ライバル店をこき下ろす批判記事のことだろう?」「そうよ。父は、詐欺師だったのよ。だから、私のことも信用できないかもしれないけれど……本当にさっきのスコーンは美味しかったわ。絶対人気が出ると思う。信じて欲しいの」何故か、マックスには信用してもらいたかったのだ。恐らく、それは昨夜店を訪ねて危ない目に遭いそうになった自分を助けてくれたからなのだろう。「信用するに決まっているだろう? 何と言っても出会って間もない俺に、 家族の恥をさらけ出すくらいなんだから」そしてマックスは笑った。「フフフ、何それ」オリビアもつられて笑うのだった――**** —―8時40分2人で一緒に購買部を出ると、マックスはガチャガチャと鍵をかけた。「よし、戸締りは大丈夫だ。それじゃ、オリビア。また店に食事に来てくれよな」「ええ。また近いうちに寄らせてもらうわ。スコーン、とても美味しかった。ごちそうさまでしたって、お姉さまに伝えて置いてくれる?」「ああ、伝えておくよ」2人は購買部の前で別れると、それぞれの
「ほう~俺が決闘内容を決めて良いというのか? 随分と余裕があるじゃないか?」ディートリッヒの挑戦的な言葉に、アデリーナはフッと笑う。「一応貴方はまだ私の婚約者ですからね。せめてもの恩情です。さ、どれになさいますか? 馬術、剣術? それとも学力試験で競い合いましょうか? カードで勝負するのも良いかもしれませんね?」「な、なんて生意気な女だ……いいだろう、なら俺から決闘方法を選ばせてもらおう」「ええ、どうぞ」「そうだな、なら……」ディートリッヒは偉そうな態度を取ってはいるが、心中は全く余裕が無かった。彼は心底、今のアデリーナに怯えていたのだった。(一体、アデリーナの堂々とした態度は何だっていうんだ? いや、違うな。この女は昔からふてぶてしい態度を取り続けていた。いつも何処か俺を見下したような態度を取って全く可愛げが無い生意気な女だった。だから俺は外見は可愛くて、頭が空っぽそうなサンドラにちょっと声をかけただけなのに……)自分の腕にしがみつき、すがるような目を向けてくるサンドラをうんざりした気分でチラリと見る。本当は、とっくにサンドラに飽きてしまって今すぐ縁を切りたい位なのに、世間では恋人同士と認識されているのでそれすら出来ない。「ディートリッヒ様、私どんな勝負でも貴方が勝てるって信じてますから」猫なで声を出すサンドラに、ディートリッヒは心の中で舌打ちする。(チッ! 人の気も知らないで、いい気なもんだ。サンドラがこんなに馬鹿だとは思わなかった。自分の立場もわきまえず、いい気になりやがって。周囲に俺と恋人同士になったと言いふらし、いつでもどこでも付きまとってくるから、切りたくても切れやしない。元はといえばサンドラのせいで俺がこんな目に遭っているっていうのに)呆れたことに、ディートリッヒは自分の浮気を全てアデリーナとサンドラのせいにしていたのだ。「どうしたのです? ディートリッヒ様。早く決闘方法を決めて下さりませんか? これ以上無駄な時間を費やしたくはありませんので、もし決められないのなら私が決めてしまいますよ?」アデリーナの催促に増々焦りが募る。「う、うるさい! 何が無駄な時間だ! こっちはなぁ、どんな決闘なら少しでもお前が有利に戦えるかって、さっきからずっと考えているんだよ!」「あら、そうですか? それはお気遣いありがとうございます。
「決闘だって!?」「侯爵令嬢が決闘を申し出たわ!」「これは大事件だ!」集まる学生たちは、目の色を変えて大騒ぎを始めた。赤い髪を風になびかせ、学生たちの好奇の視線を浴びるアデリーナの姿はオリビアの心を震わせた。(アデリーナ様……素敵! 素敵すぎるわ! あの凛々しいお姿……まさにこの世の奇跡だわ……)アデリーナの姿に感銘を受けたのはオリビアだけではない。女子学生たちの見る目も変わってきていた。「何だか……ちょっと素敵じゃない?」「ええ、誰が悪女なんて言ったのかしら」「私、好きになってしまいそう……」余裕の態度のアデリーナに対し、ディートリッヒは青ざめていた。けれどそれは無理も無い話だろう。決闘を申し込んできたのは女性、しかも婚約者なのだから。「ア、アデリーナッ! お前、本気で俺に決闘を申し込んでいるのか!?」「ええ、そうです。あなたのせいで私の大切な友人が手を怪我したのですから当然です!」その言葉にオリビアは衝撃を受けた。(え!? まさか決闘って……私の為だったの!?)一方、面食らうのはディートリッヒ。「何だって!? 俺は誰も怪我させたりなどしていないぞ! 言いがかりをつけるな!」「確かに、直接手を下したわけではありませんが……ディートリッヒ様! 貴方のせいで彼女が怪我をしたのは確かです! それに手袋を拾った以上、決闘の申し込みを受けて頂きます!」「くっ……」大勢のギャラリーに見守られ、逃げ場がないディートリッヒ。「そ、それじゃ……勝者にはどんな得があるんだ?」「そうですね。もしディートリッヒ様が私に勝てば、どんな命令にも従いましょう」「そうか。ならもし俺が勝ったら地べたに這いつくばって、サンドラに詫びを入れて貰おう」「ディートリッヒ様……」サンドラが頬を赤らめ、周囲のざわめきが大きくなる。「おい、聞いたか? 謝れだってよ」「そんな……侯爵令嬢が男爵令嬢に謝るなんて」「これは屈辱だな」「ええ、良いでしょう。地べたに這いつくばるなり、何なりとしてあげますわ。それどころか1日、サンドラさんのメイドになって差し上げてもよろしくてよ?」「ほ、本当ですか? 本当に……私のメイドになってくれるのですね?」サンドラが図々しくもアデリーナに尋ねてくる。「ええ、ただし私が負けたらですけど?」毅然と頷くアデリーナに、ディート
それは昼休みのことだった。親友のエレナが今日は婚約者のカールと昼食をとるということで、オリビアは1人でカフェテリアへ向かうため、他の学生たちに混じって渡り廊下を歩いていた。中庭近くに差し掛かったとき、大勢の学生たちが集まって何やら騒いでる様子に気付いた。(一体何を騒いでいるのかしら)少し気になったが、そのまま通り過ぎようとしたとき学生たちの会話が耳に入ってきた。「またアデリーナ様とディートリッヒ様か」「本当に騒ぎを起こすのが好きな方ね。さすがは悪女だわ」「でも、あれじゃ文句の一つも言いたくなるだろう」「え!? アデリーナ様!?」オリビアが反応したのは言うまでもない。「すみません! ちょっと通して下さい!」群衆に駆け寄り、人混みをかき分け……目を見開いた。そこには例の如く、ディートリッヒと対峙するアデリーナの姿だった。当然ディートリッヒの傍にはサンドラがいる。そしてディートリッヒはいつものようにアデリーナを怒鳴りつけていた。「いい加減にしろ! アデリーナッ! 毎回毎回、俺達の後を付回して! 言っておくが、今度の後夜祭のダンスパートナーの相手はお前じゃない! ここにいるサンドラと決めているからな! いくら頼んでも無駄だ! 覚えておけ!」「は? 何を仰っているのですか? 私がディートリッヒ様の前に現れたのは、まさか後夜祭のパートナーになって欲しいと頼みに来たとでも思っていたのですか?」両手で肘を抱えるアデリーナは鼻で笑う。「何だよ。違うっていうのか?」「ええ、違いますね。大体ディートリッヒ様が私のパートナーになるなんて冗談じゃありません。こちらから願い下げです」「……はぁっ!? な、何だとっ! 今、お前俺に何て言った!?」「もう一度言わなけれなりませんか? 仕方ありませんね……では、言って差し上げましょう。ディートリッヒ様と一緒に後夜祭に行くぐらいなら、カカシを連れて参加したほうがマシですわ」すると周囲の学生たちが一斉にざわめく。「おい、聞いたか?」「まぁ、カカシですって?」「よもや、人ではないじゃないか」「お、おかしすぎる……」「アデリーナ様……」オリビエも驚きの眼差しでアデリーナを見つめていた。「アデリーナッ! よりにもよってカカシの方がマシだと!? お前、一体なんてことを言うのだ! 冗談でも許さないぞ!」
大学へ行く準備を済ませ、オリビアエはエントランスへ向かった。「おはようございます。オリビア様」「これから大学ですか?」「お気をつけて行ってらっしゃいませ」すれ違う使用人たちが丁寧にオリビアに挨拶をしていく。これはオリビアにとって、ちょっとした驚きだった。(まさか、ここまで周りが変わるなんて本当に驚きだわ。今まで皆挨拶どころか、すれ違いざまに悪口を言う使用人が多かったのに。やっぱりアデリーナ様の言う通り、我慢する必要は無かったということよね)エントランスに到着したので、オリビアは上機嫌で扉を開けた。 すると目の前に馬車が待機しており、笑顔のテッドの姿がある。「まぁテッド。一体どうしたの? まさか私を馬車で送ろうと思って待っていたの?」「はい、そのまさかです。今朝は昨夜降り続いた雨のせいで道がぬかるんでいます。自転車で通学するのは大変かと思い、お迎えにあがりました」ニコニコ笑顔のテッド。「送ってもらって良いのかしら? 私の他に今日は誰か馬車を使うかもしれないのに?」「馬車はあと2台ありますし、御者も2人います。俺がオリビア様をお乗せしても大丈夫ですよ」「それはなんとも頼もしい言葉ね。だったら今日も乗せてもらうわ」オリビアは早速馬車に乗り込んだ――**** 馬車が大学敷地内にある馬繋場に到着した。「送ってくれてどうもありがとう」馬車を降りると、テッドに礼を述べるオリビア。「いえ、お礼なんて結構です。俺の仕事ですから。それではまた帰りの時間にお迎えにあがりますね」「ありがとう。それじゃ行ってくるわ」オリビアはテッドに手を振り、校舎へ向かった。 「オリビアッ!」廊下を歩いていると、背後から大きな声で名前を呼ばれた。「あら、ギスラン。おはよう。珍しいわね、貴方が私を呼び止めるなんて」「何だよ。嫌味のつもりか?」ギスランの顔に不機嫌そうな表情が浮かぶ。「別に嫌味のつもりじゃないけれど……私に何の用かしら?」「実は、オリビアに聞きたいことがあるんだが……昨夜、フォード家に電話を入れたんだよ」「え? 電話? そんな話、知らないわよ?」「知らないのは当然だろう。何しろ、俺はシャロンに電話を繋いでもらうためにかけたんだから」「え? シャロンに?」婚約者のオリビアを前にして、悪びれる素振りも無く堂々と語るギスラン。(仮に
—―翌朝 静かなダイニングルームに向かい合わせで座るランドルフとオリビアは無言で食事をしていた。ランドルフは先ほどからチラチラとオリビアの様子を伺っている。娘に話しかけるタイミングを計っているのだが、オリビアは視線を合わせる事すらしない。何とか会話の糸口をつかみたいランドルフは、そこで咳払いした。「ゴ、ゴホン!」「……」しかし、オリビアは気にする素振りも無く食事を続けている。ついに我慢できず、ランドルフは声をかけた。「オ、オリビアッ!」「……はい、何でしょう」顔を上げるオリビア。「どうだ? オリビア。今朝の朝食はお前の好きな料理を用意したのだが……美味しいかね?」「はい、美味しいです。ですがこのボイルエッグも、ブルーベリーのマフィンにグリーンスープはシャロンの好きなメニューではありませんか?」「何? そうだったか?」「ええ、そうです。私は卵料理なら、オムレツ。ブルーベリーのスコーンに、オニオンスープが好きです。尤も、一度もお父様に自分の好きな料理を聞かれたことはありませんので、ご存じありませんよね?」「そ、そうか……それはすまなかったな」途端にしおらしくなるランドルフ。「いえ、私は何も気にしておりませんので謝る必要はありません。それにどの料理も全て美味しいですから」「本当か? なら良かった。だが、オリビア。今回の件で私は良く分かった。この屋敷の中で、まともな家族はお前だけだということをな。今まで蔑ろにしてきた私を許してくれるか? これからは心を入れ替えて、お前を尊重すると約束しよう」「はぁ……」オリビアは呆れた様子で父親の話を聞いていた。(一体今更何を言っているのかしら? 生まれてからずっと、私の存在を無視してきたくせに。もうこれ以上話を聞いていられないわ。丁度食事も終わった事だし、退席しましょう)「お父様。食事もおわりましたし、これから大学へ行くのでお先に失礼します」椅子を引いて席を立ったところで、ランドルフが呼び止める。「ちょっと待ってくれ! オリビアッ!」「何でしょうか? まだ何かありますか?」内心辟易しながら返事をする。「ああ、ある。昨夜の件の続きだが……頼むオリビア! この間お前が食事してきた店を教えてくれ! この通りだ! 最近新聞社から、催促されているのだ! 若い世代に人気の定番料理に関するコラムを書い
「分かりました。お父様とどのような話をしたのか、お話いたします」「そうよ! 早く言いなさい!」ゾフィーは身を乗り出してきた。「ですが、その前に条件があります。その条件を飲んでくれない限り、お話することは出来ません」「どんな条件よ? お金でも欲しいのかしら? いくら欲しいのよ」「お金? そんなものは別にいりません。条件は一つだけです。私の話が終わったら、一切の質問もせずに即刻この部屋を出て行って下さい。いいですか?」「分かったわよ。それじゃ、どんな話をしていたのか言いなさい!」膝を組み、腕を組む。何処までも高飛車な態度のゾフィー。「お父様は、言ってましたよ。もう我が家は家庭崩壊だ、あんな家族と一緒の食事は楽しめないからごめんだと。これからは私と2人で食事をしようと提案してきたのです」(もっとも、そんな提案私はお断りだけどね)その話に、見る見るうちにゾフィーの顔が険しくなっていく。「な、な、何ですって……? ランドルフがそんなことを……? ちょっと! それは一体どういう……!」「そこまでです!」オリビアはゾフィーの前に右手をかざし、大きな声をあげた。その声に驚き、ゾフィーの肩が跳ねあがる。「ちょ! ちょっと! そんな大きな声を上げないでちょうだい! 驚くでしょう!?」「そこまでです。先ほどの私との約束をもうお忘れなのですか? 話を聞いた後は一切の質問もせずに即刻この部屋を出て行くと言う約束を交わしましたよね?」「う……お、覚えているわよ!」「だったら、今すぐ出て行って下さい。何か言いたいことがあるなら私にではなく、父に言っていただけますか?」「な、何ていやな娘なの!? ランドルフに聞けないから、お前の所に来たっていうのに……!」「頼んでもいないのに、勝手にこの部屋に来たのはどちら様でしょうか? とにかく、約束は守って頂きます。今すぐに出て行って下さい」オリビアはゾフィーを見据えたまま、部屋の扉を指さした。「くっ! オリビアのくせに生意気な……! ええ分かりましとも! 出て行くわよ! 出て行けば良いのでしょう!? 全く……ちょっとランドルフに贔屓にされたからって、いい気になって!」椅子に座った時と同様に、ガタンと大きな音を立ててゾフィーは立ち上がった。「……お邪魔したわね!」「ええ、そうですね」睨みつけるように見下ろすゾ
「ふぅ……今日は充実していたけど、何だかとても疲れた1日だったわ。こんな時はアレね」入浴を終えて、自室に戻って来たオリビアは事前にトレーシーが用意してくれていたワインをグラスに注いで香りを楽しむ。「フフ、いい香り」カウチソファに座り、アデリーナが勧めてくれた恋愛小説を手に取った時。—―ガチャッ!乱暴に扉が開かれ、義母のゾフィーがズカズカと部屋の中に入ってくるなり怒鳴りつけてきた。「オリビアッ! 一体今まで何処へ行っていたの! 私は何度もこの部屋に足を運んだのよ? 手間をかけさせるんじゃないわよ!」いきなり入って来たかと思えば、耳を疑うような話にオリビアは目を見開いた。「は? ノックもせずに部屋に入って来たかと思えば、一体何を言い出すのですか? まさか人の留守中に勝手に部屋に出入りしていたのですか?」「ええ、そうよ! これでも私はお前の母なのよ! もっとも血の繋がりは無いけどね。娘の部屋に勝手に入って何が悪いのよ」ゾフィーは文句を言うと、向かい側の席にドスンと腰を下ろした。「血の繋がりが無いのだから、私たちは他人です。大体、今まで一度たりとも私を娘扱いしたことなど無かったではありませんか!」「おだまり! オリビアのくせに! 戸籍上は親子なのだから、私はお前の母親なのよ! その親に対して口答えするのではない!」「はぁ? 今朝、散々シャロンに罵声を浴びせられていましたよね? そのセリフ、私にではなく、むしろシャロンに言うべきではありませんか?」「シャロンは部屋に鍵をかけて、閉じこもってしまったのよ! 取りつく島も無いのよ! 今はそんな話をしに来たわけじゃないわ。オリビアッ! お前、一体私たちに何をしたの! 何の恨みがあって、家庭を崩壊させたのよ!」あまりにも八つ当たり的な発言に、オリビアは怒りを通り越して呆れてしまった。「一体先程から何を言ってらっしゃるのですか? 意味が分かりません。大体元からいつ壊れてもおかしくない家族関係だったのではありませんか? そうでなければ簡単に崩壊したりしませんから。念の為、言っておきますが私には全く関係ない話です」「関係ないはずないでしょう!? さっきも父親と2人きりで楽しそうに食事をしていたでしょう? 一体何の話をしていたの! 言いなさい!」ビシッとゾフィーは指さしてきた。「あぁ……成程。つまり私と
「はぁ、そうですか……」別にありがたみもない提案に、適当に返事をするオリビア。(さっさと食事を終わらせて、早々に席を立った方が良さそうね)無駄な会話をせずに食事に集中しようとするオリビアに、父ランドルフは上機嫌で色々話しかけてくる。煩わしい父の言葉を「そうですか」「すごいですね」と、適当に相槌を打って聞き流していたオリビアだったのだが……。「ところでオリビア、昨日町へ1人で食事へ行っただろう? 何という店に行ったのだ? 私にも教えてくれ。是非その店に行ってみたいのだよ。私が行けば店の宣伝にもなるしな」この台詞に、オリビアは耳を疑った。「……は?」カチャンッ!手にしていたフォークを思わず皿の上に落としてしまう。「どうした? オリビア」娘の反応にランドルフは首を傾げる。「お父様、今何と仰ったのでしょうか?」「何だ、よく聞きとれなかったのか? 昨日お前が食事をしてきた店を教えてくれと言ったのだが」「そうですか……では、そのお店に行かれた後はどうなさるおつもりですか?」オリビアは背筋を正すと父親を見つめる。「それは勿論食事をするだろうなぁ」「なるほど、お食事ですか……それで、その後は?」「は? その後って……?」まるで尋問するかのような口ぶり、いつにもまして鋭い眼差し……ランドルフはオリビアから、何とも形容しがたい圧を感じ始めていた。「答えて下さい、食事をした後の行動を」「そ、それは……味の評価を書く為に記事を書くだろうな……」(な、何なんだ……オリビアの迫力は……当主である私が娘に圧されているとは……)いつしかランドルフの背中に冷たい物が流れていた。そんなランドルフにさらにオリビアは追い打ちをかける。「はぁ? 記事を書くですって? 一体どのような記事を書くおつもりですか?」「そんなのは決まっているだろう。美味しければそれなりの評価を下すし、まずければ酷評を書くだろう。何しろ、こちらは金を支払って食事をするのだから当然のことだ。私の責務は世の人々に素晴らしい料理を提供する店を知ってもらうことなのだから」娘の圧に負けじと、ランドルフは早口でぺらぺらとまくしたてる。「お店から賄賂を受け取って、ライバル店をこき下ろすことがですか?」「う! そ、それは……ほんの特例だ! あんなことは滅多に起こらないのだよ!」「滅多にどころ
—―18時 オリビアは自室で大学のレポートを仕上げていた。このレポートは単位に大きく関わってくる。アデリーナの助言によって、大学院進学を決めたオリビアにとっては重要なレポートだ。「……ふぅ。こんなものかしら」ペンを置いて一息ついたとき。—―コンコンノック音が響いた。「誰かしら?」大きな声で呼びかけると扉がほんの少しだけ開かれて、トレーシーが顔を覗かせた。「オリビア様……少々よろしいでしょうか?」「ええ、いいわよ。入って」「失礼します」かしこまった様子で部屋に入って来たトレーシーは深刻そうな表情を浮かべている。「トレーシー。どうかしたの?」「あの、実は旦那様がお呼びなのですが……」「え? お父様が?」今迄オリビアは個人的に父に呼び出されたことはない。ひょっとすると、今朝の出来事で何か咎められるのだろうか……そう考えたオリビアは憂鬱な気分で立ち上がった。「分かったわ。書斎に行けばいいのね?」「いえ、違います。ダイニングルームでお待ちになっていらっしゃいます」「え? ダイニングルームに?」「はい、そうです」「おかしな話ね……今まで食事の時間に呼ばれたことはないのに」「そうですよね……」オリビエとトレーシーは顔を見合わせた——**「お待たせいたしました。お父……さ……ま?」ダイニングルームに入ってきたオリビアは驚いた。何故なら真正面に父——ランドルフが満面の笑みを浮かべて待ち受けていたからだ。父の左右には給仕を兼ねたフットマンが立っている。しかも、いつも着席しているはずの義母、シャロン、兄ミハエルの姿も無い。「おお、待っていたぞ。オリビア、さぁ。席に着きなさい」ランドルフは自分の向かい側の席を勧めてくる。「はぁ……失礼します」そこへ、スッとフットマンが近づくとオリビアの為に椅子を引いた。これも初めてのことだった。何しろこの屋敷の使用人達は全員オリビアを見下していたのだから。「……ありがとう」慣れない真似をされたオリビアは落ち着かない気持ちで礼を述べる。「いいえ、とんでもございません」ニコリと笑うフットマン。……彼は今まで一度もオリビアに挨拶すらしたことが無い使用人だ。「よし、それでは早速食事にしようか?」ランドルフの言葉と同時にワゴンを押したメイドが現れ、次々に料理を並べていく。どれも出来たて